【染井吉野の起源】江戸の染井村起源説だけではなかった!

染井吉野の開花は毎年ニュースに取り上げられるほど、春の訪れとして多くの人に注目されます。お花見などの春のイベントに合わせて一斉に咲き誇るその姿は、だれしもが記憶に残っているものでしょう。ただ、この情景は何百年も前からのものではないことが明らかになっています。いつから日本の春の伝統は始まったのでしょうか?染井吉野の起源についてのいくつかの説を紹介します。

【染井村起源説】
1900年に東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命(ふじのきめい)が「染井吉野」と命名したことがきっかけです。藤野は、「吉野桜」として江戸の染井村から売り出されたと聞いた桜が、奈良県の吉野に多いヤマザクラと形態が異なることを発見したことで、このように命名しました。この説は、後述する済州島(チェジュ島)起源説が広まったことで影をひそめますが、近年になって筑波大学の岩崎文雄(いわさきふみお)によって改めて周知されます。この説では、江戸で園芸が盛んだった染井村(現在の東京都豊島区駒込周辺)で、伊藤伊兵衛政武(いとういへえまさたけ)という植木職人が交配により染井吉野を作ったとしています。短期間で成長するこの桜が花見の名所を作り出すために重宝され、幕末から明治初期にかけて日本の各地に広まったそうです。ただ、交配の副産物として生まれたはずの近縁種や交配に関する文献がほとんど残っていないことから、染井吉野が本当に人為的に誕生したのかという疑問が残っています。

【済州島起源説】
この説は、戦前まで日本でも広まっていた説です。東京帝国大学の植物学者である小泉源一(こいずみげんいち)が、韓国の済州島で採取された桜の標本が染井吉野に近いことを1913年に報告し、1932年には染井吉野が済州島に自生するということを発表したことがきっかけでした。ただ、後述の説によって、染井吉野が野生種のエドヒガンとオオシマザクラの雑種であることが明らかになります。オオシマザクラの自生しない済州島で染井吉野が誕生することは考えづらく、この説は支持されないものとなりました。ただ、済州島には、染井吉野とそっくりな「エイシュウザクラ」という桜が実在します。エイシュウザクラは韓国の植物学者によってエドヒガンとオオヤマザクラの雑種であると発表されていて、染井吉野とは似て非なるもののようです。

気象業界ではカルマン渦が有名な済州島
(出典:JMA,NOAA/NEDIS,CSU/CIRAを一部加筆)

【伊豆半島起源説】
染井吉野がエドヒガンとオオシマザクラの雑種であることを明らかにしたのは、国立遺伝学研究所の竹中要(たけなかよう)でした。竹中はエドヒガンとオオシマザクラ、染井吉野をそれぞれ交配させる実験を行い、子どもの桜を比較することで染井吉野が雑種であることを明らかにします。また、竹中はエドヒガンとオオシマザクラが自生する伊豆半島に着目し、静岡県伊豆市の舩原峠に天然の雑種を発見しました。現在、この桜は「舩原吉野(ふなばらよしの)」と呼ばれています。ただ、この伊豆半島起源説も広く受け入れられていないらしく、今後の研究に期待が寄せられます。

いかがでしたか?染井吉野の起源をめぐる説は数多くあり、現在でも研究が行われている分野です。起源を知ることで生態についてより深く理解することができ、染井吉野の育成や保護に役立つことでしょう。DNAを使った研究も増えてきて、染井吉野の起源が明らかになる日も近いかもしれませんよ。開花の予想を行っている気象予報士としても注目しています。

参考文献
「桜」勝木俊雄 岩波新書